東日本大震災 現地視察(3月30日)

東日本大震災 現地視察(3月30日)の報告書を下記に転記いたします。

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東日本大震災 現地視察            NPO法人 かわぐち防災ネット代表 大羽賀秀夫
H23.3.30 急遽会員に呼び掛ける形で、水落・斉藤(麻)両会員と3名で東北現地に赴いた。

その行程は下表の通りである。

 行程
3月29日23:20 中青木出発
       ↓
3月30日4:54 仙台宮城IC → 仙台西道路 → 仙台市西公園 到着04:54
                     355㎞            朝食・休憩
6:10 市内走行→ 6:30 青葉神社→ 県道3号(利府経由) → 塩竃市
                       ガソリンスタンド周辺・幹線道大渋滞

8:00 塩竃市役所 → 塩竃港 イオンショッピングセンター・マリンゲート・尾島町・ 港町周辺 視察

8:55 塩竃市役所 出発 → 国道45号線 → JIA東北支部(仙台市青葉区二日町)
                              09:45 非常食200食提供

10:15 JIA東北支部 出発 → 仙台市若林区荒浜地区 →藤田北浦上集落 津波惨状
            → 荒浜海岸公園 10:57 →老人施設潮音荘→公園馬術場
            → 11:39 東六郷小学校→閑上大橋不通の為→仙台東道路今泉IC
            → 名取IC →12:15杜せきのした駅前イオン名取エリア・昼食休憩
            → 名取市役所→国道4号→岩沼市役所→国道6号→
               14:21亘理町荒浜 津波惨状 鳥の海海浜公園 周辺視察
            → 山元町 県道38号 JR山下・坂元駅周辺視察 360度津波被災
            → 15:20 新地町新地 JR新地駅周辺 360度津波被災
            → 国道6号 15:37 相馬市相馬港岸壁崩壊・港湾建物倒壊 視察

 16:00 視察終了 → 国道115号 相馬市内 → 福島市内 → 福島西IC
            → 阿武隈SA 夕食休憩 → 浦和IC
 21:55 中青木帰着        全行程時間23時間

           [ 全走行距離 833㎞ 77.73L 平均走行 10.71㎞/L ] 

3月29日早朝に私の所属する日本建築家協会(JIA)からの被災地派遣が「中止」となり、燃料から仮設トイレまで
準備万端整えていたが故に、急遽防災ネットのメンバーに呼び掛けて視察したものです。

3月30日夜明け前に仙台市に到着。朝食後に仙台市青葉区内を走行。外観上建築物に大きな損傷は見られない。
SEIYU青葉店の硝子が落ち店内に損傷が見られる程度。青葉神社の石造の鳥居・灯籠が崩壊。神社本社には大きな
損傷は見られない。震度6強の揺れと津波に襲われた塩竃市へと移動。途中のガソリンスタンドの給油待ち渋滞の長さ
を見ながら、つい先日までの川口市内を思い浮かべる。

 塩竃市役所に車を置き塩釜港岸壁へ向かう。港町の飲食店街は高さ2.0m前後の冠水跡が残り、屋内の廃材が
道路脇上に積み上げられている。岸壁のイオンショッピングセンター駐車場には流された車が重なり合って残置され、小中
の船舶がマリンゲート緑地公園に乗り上げたままになっている。対岸の水産倉庫・工場群は1階部分を流された姿が鮮
明に見える。

 
 塩竃市役所はRC造4F建て。二層までK型ブレスで耐震補強されているが、3層目の柱脚に剪断破壊のクラック。市街
の地盤沈下と合わせ振動の強烈さが読み取れる。庁内に貼られた津波浸水予測図の正確さに注目する。
 

 一時的に仙台市内に戻り、JIA東北支部事務局を訪問、仙台市内の現況を聞く。ガスが復旧していない為飲食店と
小売店舗への入荷が不足による食料不足気味であること、ガソリン不足であることを確認。有効利用を期して非常食
200食を渡す。

 再び仙台市街を離れ、津波被害報道の若林区荒浜地区へと向かう。仙台東部有料道路を越えた付近からの津波
冠水被害を目の当たりにする。防風林の松が、車が、家が、がれきが、泥水が、広い平地を覆い尽くす。

 無惨である。荒浜新地区の海岸近くまで行くが海岸には出られない。県道10号線を南に移動。視界の全てが破壊
された姿。老人ホーム「潮音荘」には調査の人影。RC2階建ての全てが津波冠水跡。入居されていた方々は逃げ切れ
なかったと思う。更に南下。井土地区の海岸公園馬術場の姿。潮音荘と同様。此処に居たはずの馬達はどうなった
のか。建物の損壊以上に気持ちが残る。

 

 閖上大橋が通行止めとなり西上。広い破壊野に東六郷小学校・東六郷老人憩いの家が見える。校舎1階をがれき
が埋め尽くし、2階を避難所として使っているという。周囲の住家は土台以外はなく、田圃地に車が、小型船が流され
来たままに散らばる。

 仙台東部道路を使って名取市閖上地区へ。名取川沿いのこの地区も殆どの建物が流出・破壊され、電柱が大きく
曲げられている。土手の大半に津波に引き潮破壊跡。累々と散らばる大中小の車が「遺体」に見える。私は「戦場」を
知らない。だが、ここは「戦場」だと実感し、言葉を無くしていく。

  

 更に南下。岩沼市街から亘理町荒浜地区へ。津波痕跡の凄惨な状況はこの地区にも大きい。鳥の海海水浴場ま
で進む。

2FRC造がそっくり流され、海岸の防波堤が破壊されたままに「散らばる」情景は、荒浜地区の
集落が殆ど破壊され尽くした情景の延長に過ぎない。「わたり温泉 鳥の海」ホテルの3階まで津波破壊を確認した時
は無言が「恐怖」の実感に変わる。ホテルの周囲がガレキの集積場所になりつつある光景は、無惨としか言いようがない。

 更に南下。沃野から荒野と化し、集落の痕跡を基礎土台でしか見られない津波被災地を進む。JR常磐線山下・坂元
駅のホーム跨線橋だけが残る。

360度の視野は全て破壊された平地である。津波来襲時には集落住家があり、多くの
老若男女の住民が居たはずである。この広さ、山までの遠さ、逃げられる「はずはない」。だとしたらどんな状況だった
のか。子どもの手を握り、老いた姿を背負い、車で逃げ惑う、その後ろから、真っ黒な泥水が急速に飲み込んでいく。

 私には阿鼻叫喚は聞こえない。むしろそれ以上の「無言」で被ってくる「恐怖」をまたもや「実感」するのである。
 この「荒野」には未だに見つからない「遺体」とペットを含む動物たちの無数の「遺体」があるはずだからでもある。
 更に南下。福島県に入り新地町を過ぎる。山間のこんなところまでと思う地域まで津波の痕跡を見る。


 相馬市に入り、相馬港に辿り着く。火力発電所の脇を抜け岸壁に行くと、港湾施設の殆どが文字通り全滅状態。

 
 荷揚げした石炭が散らばる一帯を走る。第一埠頭・第二埠頭の岸壁が崩れている。夕闇が迫る一帯に荒涼とした
その姿が、今までの光景の現実を重ねてくる。

 早朝から、約10時間。体力も気力も、自然の猛威と云う言葉よりもっと「キツ~イ」衝撃を残しながら、帰路に着く。
 私は「災害に特化したボランテイアの一員」である。その我々に何が出来るのか。
 同時に、私は「防災の視点を持つ、建築家」でもある。その私に何が出来るのか。何をすべきなのか。
 阪神淡路の現地で学んだ「怒り」ではない、東日本大震災の「恐怖」をどう活かすのか。西スポ避難所の体験と重ね
ながら、今現在、私は考え込んでいます。
 

私は建築家として、一市民として再度災害地に入ります。
 名取市周辺の日本建築家協会(JIA)の住家被害調査の一員として4/8~4/10の予定で入ります。
 恐らく、その後も何度か現地に入る事になるでしょう。今度は日帰り視察ではなく、被災住民の方々と建物に入って
来ます。その体験と時間から学んだことを「防災ネット」に還元できればと思います。
 

ただこれだけはお伝えします。川口に多大な被害を与えるであろう「東京湾北部地震」の発生の確率は、かなり高い。
 その時は、地震動被害だけではなく、火災被害の大きさを想定されています。津波被災地の「全てを無くす」現実が、
火災で「全てを無くす」川口の姿と、私には重なります。その準備、対応に、今回の東日本大震災は大きな教訓を与え
ています。

1 comment to 東日本大震災 現地視察(3月30日)

  • 大羽賀 秀夫

    上記の東日本大震災時の被災地現地視察報告の文中の記載、「2FRC造がそっくり流され、海岸の防波堤が破壊されたままに「散らばる」情景は・・・」と説明していた文及び写真」について、大成建設ハウジングの物件ではなく、又「ながされた」のではなく津波時に基礎部位が抉られ沈下したものと判明いたしました。ここに訂正し、関係各位にお詫び申しあげます。

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